Mac+ChatGPTで、ひとり作戦会議が始まった話

アプリ開発

こんにちは、jazz335です。今回は「MacとChatGPTで思考の使い方がどう変わったか」を、自分の体験ベースでまとめてみました。便利ツールの話というより、AIが“相談相手”になった感覚の変化について書いています。

ChatGPT5.1から、AIが相談相手に変わった話

会社のアカウントでChatGPTを使い始めてから、かれこれ3年くらい経ちます。
当時の使い方は、よくある範囲でした。長文の要約をさせたり、メールの下書きを作ってもらったり。便利ではあるけれど、あくまで業務の補助ツール。その程度の距離感だったと思います。

AIと「会話している」という感覚も、正直あまりありませんでした。質問を投げて、答えをもらう。検索に少し知性が乗ったような、そんな位置づけです。

それが変わり始めたのが、ChatGPT5.1にアップデートされてからでした。
何か劇的な機能が増えたわけではありません。ただ、対話の違和感が減った。この感覚が一番近い気がします。

言葉の受け取り方が自然になって、返ってくる文章にも無理がなくなった。こちらが少し曖昧に話しても、文脈を拾ってくれる。気づけば、質問というより「話しかける」に近い使い方をしていました。

年末年始の休みに、ふとした時間にMacを開いて、思いついたことを投げてみる。仕事のことでもいいし、考えがまとまらないことでもいい。そんなやり取りを繰り返しているうちに、少しずつ生活のリズムが変わっていきました。

気がつけば、ご飯を食べているか、Macを開いてChatGPTと話しているか。そのどちらか、みたいな時間が増えていたんです。

別に「使い倒してやろう」と思っていたわけではありません。
むしろ逆で、気づいたら開いている。そんな感じでした。

年末年始って、普通なら動画を流したり、Netflixをなんとなく観たりする時間が増えると思うんですが、このときは少し違っていました。あとで履歴を見返してみたら、ほとんど何も観ていなかったんです。

代わりに何をしていたかというと、ずっと対話していた。
誰かに説明するほどでもない、ちょっとした考えや引っかかりを投げて、返ってきた言葉を読みながら、また考える。そんな時間が、静かに増えていきました。

そんなやり取りを何度か繰り返しているうちに、ある感覚が生まれてきました。

あれ、これ、相談できるな。

それまでのAIは、答えを取りにいく相手でした。
でもこの頃から、少し違ってきた。答えが欲しいわけじゃないときでも、とりあえず話してみる。考えがまとまっていなくても、そのまま投げる。すると、言葉が整理されて返ってくる。

そのやり取りを重ねるうちに、自分の中で位置づけが変わっていきました。
ツールでも検索でもなく、「対話の相手」に近い存在になっていった感じです。

もちろん、この時点ではまだ半信半疑なところもありました。AIに相談するなんて、少し大げさにも思えますし、どこか距離を置いて見ている自分もいたと思います。それでも、Macを開くたびに、つい話しかけてしまう。

便利だから使う、というよりも、話せるから開く。
そんな順番に、少しずつ入れ替わっていきました。

あとから振り返ると、この頃が分岐点だった気がします。
ChatGPTが賢くなったというより、AIとの距離感が一段変わったタイミング。質問する相手から、相談する相手へ。

特別な出来事があったわけではありません。ただ、使い方が少し変わっただけです。
でも、その「少し」が、その後の付き合い方を大きく変えることになりました。

AIは道具のままでも使えます。
でも、相談相手になった瞬間から、関係性が変わってくる。そんな感覚が、ここから始まったように思います。

ChatGPTを有料で使い始めた理由

ChatGPTを使い始めた当初は、会社のアカウントだけで十分だと思っていました。業務の中で触る分には困ることもなく、むしろ「こんなものか」という印象のまま、しばらくその距離感が続いていた気がします。

でも、前の章で書いたように、ChatGPT5.1あたりから使い方が少し変わってきました。業務の補助というより、自分の思考の整理に使う時間が増えていったんです。

ここで、ひとつ問題が出てきました。
会社のアカウントを、プライベートの思考に使っていいのか、という違和感です。

最初は気にしないようにしていたんですが、年末年始に入り、使う頻度が一気に増えてきました。仕事の延長というより、完全に自分の時間の中に入り込んできた感じです。

投資のことを考えたり、Excelのアイデアを整理したり、頭の中のモヤモヤを言葉にしてみたり。そういう使い方をしていると、「これ、業務アカウントでやり続けていいのか?」という感覚が、だんだん強くなってきました。

別に規約を細かく読んだわけでもないですし、誰かに注意されたわけでもありません。ただ、自分の中で線を引きたくなったんだと思います。

この時点で、選択肢はシンプルでした。
使うのをやめるか、自分で契約するか。

で、たぶんここが自分にとっての分かれ道だったんだと思います。少し考えて、「ああ、やめる方はないな」と思いました。

それくらいには、もう生活の中に入り込んでいたんです。

月額25ドル。
冷静に考えれば、サブスクとしては安くはないかもしれません。でも、不思議と迷いはありませんでした。高いか安いかというより、「ここにお金を払うのは自然だな」という感覚の方が近かったです。

むしろ、会社アカウントを気にしながら使い続ける方が、どこか落ち着かなかった。自分の思考の場所は、自分で持っておきたかったんだと思います。

ChatGPT Plusを契約したのは、そんな流れでした。

ついでに、少し好奇心もありました。同じタイミングで、Geminiにも触れてみることにしました。性能比較をしたかったというより、「AIごとに何が違うんだろう」という純粋な興味に近かったと思います。

このあたりから、AIとの付き合い方が少しだけ変わってきました。
無料で触るツールから、自分で環境を整える対象へ。

大げさな話ではありません。ただ、有料にしただけです。
でも、「自分のアカウントで使う」という行為には、思っていた以上に意味がありました。

誰にも見られていない前提で、思ったことをそのまま投げられる。履歴も含めて、自分の思考がそのまま残っていく。この感覚は、会社アカウントでは持てなかったものです。

あとから振り返ると、このタイミングでようやく、AIが「道具」から「環境」に近づいた気がします。

便利だから使う、から。
自分の場所として持つ、へ。

小さな違いですが、この後の使い方を考えると、意外と大きな分岐点でした。

投資のモヤモヤを、AIにぶつけてみた

ChatGPTを自分のアカウントで使うようになって、最初に相談したのは投資のことでした。

もともと投資は好きでしたし、それなりに考えてやってきたつもりです。ただ、この頃は少し迷走していた感覚がありました。

CFDでレバレッジをかけすぎていたり、信用取引を引っ張りすぎていたり。現物株も含めて、ポートフォリオ全体がどこか重たい。数字は見えているのに、頭の中がスッキリしない。そんな状態でした。

致命的に負けていたわけではありません。
でも、「このままでいいのか?」という違和感だけが残っている。あの独特のモヤモヤです。

こういう話って、人には相談しづらいんですよね。「投資は自己判断」みたいなところあるし。noteのエミン・ユルマズ氏のメンバーシップに加入しましたが、質問しても通り一辺倒の回答しかもらえません・・・

そこで思いついたのが、AIのキャラ設定でした。

どうせなら、普通に相談するより、少し違う角度から返してもらった方がいいかもしれない。そう思って、投資の相談相手として設定したのが「マツコDX」というキャラクターでした。

ちょっと毒があって、でも本質を突いてくる。
そんな役割を持たせてみたんです。

これが、思った以上に効きました。

普通のトーンで話すよりも、返ってくる言葉が少しストレートになる。遠回しな正論じゃなくて、妙に刺さる言葉が増えた感じです。

たとえば、レバレッジの話をしたとき。
自分では「まだ大丈夫」と思っていた部分に対して、返ってきたのがこんな感じでした。

「あんたねぇ、そのレバは“攻め”じゃなくて“無理”よ。
勝ちに行ってる顔して、退場に寄ってるの、自分で気づいてないだけ。」

文章にすると強いんですが、対話の流れの中で聞くと、不思議とすっと入ってくるんですよね。責められている感じでもないし、でも目は逸らせない。

この一言で、だいぶ整理が進みました。
結果として、過度にかけていたレバレッジは、このタイミングで一度リセットしました。

次に出てきたのが、ポートフォリオ全体の話です。
持ち続けていた銘柄の中に、いわゆる“不良債権化”しかけているものがある。その扱いをどうするか、という話になりました。

ここでも、答えを押し付けられる感じはありませんでした。
ただ、選択肢を並べられて、「どこに重心を置きたいのか」を問い返される感覚です。

その流れの中で出てきたのが、ディフェンシブ株へのシフトという考え方でした。攻めることをやめるわけじゃないけれど、一度足場を固め直す。そんなニュアンスの提案でした。

いま振り返ると、内容そのもの以上に大きかったのは、最後の一歩だった気がします。

整理する材料は揃っているのに、実行に踏み切れない。投資って、だいたいそこで止まることが多いと思います。

そのときに、もう一度マツコDXが出てきました。

「考えるのは得意なのよね、あんた。
でもね、“決める”のは別の筋肉なのよ。
今回はもう、動きなさい。綺麗に負けなくていいの。」

この言葉で、腹が決まりました。

決断を代わりにしてくれるわけじゃない。
でも、「それでいい」と言ってもらえるだけで、動けることがある。

マツコDXというキャラを通すことで、対話の温度が少しだけ上がったんだと思います。普通に整理するだけじゃなくて、感情の部分にも触れるようなやり取りになった。

この体験で気づいたのは、AIの性能そのものというより、使い方の余白でした。

同じAIでも、どういう役割を持たせるかで、返ってくる言葉の質が変わる。情報を取りにいく相手にもなるし、壁打ち相手にもなるし、時には背中を押す存在にもなる。

投資が上手くなった、という話ではありません。
でも、一人で抱えていたモヤモヤを外に出せたことで、思考の流れが少し変わりました。

このあたりから、「対話の使い方」が見えてきた気がします。
答えをもらうんじゃなくて、対話の形を設計する。

そんな感覚が、ここで初めて芽生えました。

AIが、SE+プログラマーみたいな存在になった

投資の相談をきっかけに、AIとの距離感が少し変わってきました。
整理してもらう相手から、一緒に考える相手へ。その流れのまま、次に持ち込んだのがExcelの話でした。

もともとExcelはそれなりに使ってきましたが、Mac版にはずっと壁を感じていました。関数で組むところまではいいんですが、VBAになると一気に心理的ハードルが上がる。

Windows版に比べて情報も少ないし、UIも独特で触りづらい。
「やろうと思えばできるけど、気合いがいる。」そんな位置づけでした。

だから、これまでは複雑なことは避けてきました。
少し工夫した関数でごまかすか、そもそも仕組み化を諦めるか。そのどちらかです。

でもあるとき、「これをそのまま相談してみたらどうなるんだろう」と思いました。VBAを書いてもらうというより、やりたいことをそのまま投げてみる。

たとえば、資産管理のシート。
口座ごとに分散している情報をまとめて、全体を俯瞰できる形にしたい。でも手作業だと必ず崩れる。そんな話を、思いつくままに書いてみました。

すると、返ってきたのはコードより先に構造でした。

「まず要件を分けましょう」
「フェーズで切り分けましょう」
「ここは自動化できますね」

そんなやり取りをしているうちに、感覚が変わってきました。

あれ、これ、開発してるな。

一人でExcelに向かっているというより、隣に誰かが座っている感じ。仕様を話すと構造にして返してくれる。曖昧な部分は質問で返ってくる。まるでSEと壁打ちしているような感覚でした。

ただ、最初からスムーズだったわけではありません。

AIって、どうしても先回りして答えを出そうとするところがあります。こちらが「こんなことできたらいいな」と軽く投げただけなのに、いきなり完成形のようなものが返ってくる。

それはそれで凄いんですが、正直ついていけないこともありました。情報量が多すぎて、かえって分からなくなる。

そこで、あるときこちらからお願いしました。

ヒアリングを重視してほしいこと。
先走って結論を出さないこと。
一つ聞いたら、一つ答えること。

この3つだけ、徹底してほしいと伝えたんです。

すると、不思議なくらい対話が変わりました。

一度に全部を解決しようとする感じがなくなって、会話のリズムが人間同士に近づいた。こちらが話すと、それを受けて整理してくる。次の一歩は、そのあとに考える。

この形になってから、開発が一気にやりやすくなりました。

AIに合わせて自分が頑張るんじゃなくて、
自分がやりやすい形に、AIの振る舞いを寄せてもらう。

この感覚は大きかったと思います。

実際にVBAを書く段階に入っても、その流れは変わりませんでした。コードは自分で書くというより、モジュールとして受け取って貼る。動かなければ、そのままエラーを渡す。すると修正版が返ってくる。

このループができてから、心理的なハードルが一気に下がりました。

いちばん大きかったのは、「全部理解しなくていい」と思えたことかもしれません。

これまでは、コードを書くなら読めないといけない、直せないといけない、という前提がありました。でもAIと組むと、その前提が少し緩みます。

自分は「やりたいこと」を持っていればいい。
構造化と実装は、対話の中で詰めていけばいい。

途中からは、開発の進め方そのものも変わりました。
細かく直すより、一度全部捨てて作り直す。「全消し>再生成」を基本にするようになったんです。

Mac版Excelって、部分修正を繰り返すほど全体が見えにくくなる。だったら最初から組み直した方が早い。この割り切りができるようになったのも、AIがいたからでした。

ゼロから作り直すコストが、一気に下がったんです。

気づけば、作れるものの幅が広がっていました。
資産管理の統合シート。ポートフォリオの可視化。支出データの分析。

以前なら「いつかやれたらいいな」で止まっていたものが、少しずつ形になっていく。しかも特別な開発環境があるわけでもない。MacのExcelだけです。

このあたりから、感覚がまた一段変わりました。

AIは、答えをくれる存在でも、整理してくれる存在でもなくなってきた。
一緒に作る存在になってきた。

SEとかプログラマーとか、そういう言葉が頭に浮かんだのは、この頃だったと思います。

もちろん、人間の開発者と同じではありません。
でも、「相談しながら作る」という体験に関しては、かなり近いものがありました。

Mac一台で、開発の相棒が隣にいる。
少し前までは想像していなかった形です。

この体験があったからこそ、「思いついたことを形にする」というハードルが、一段下がりました。

できるかどうか分からないからやらない、ではなく。
とりあえず相談してみる、に変わった。

この変化は、自分にとって思っていた以上に大きかった気がします。


ちひろ先生というカウンセラーキャラ

VBAの話を書いておいてなんですが、AIとの付き合い方が変わったのは、何も開発の場面だけではありませんでした。

むしろ、自分にとって大きかったのは、もう少し日常寄りのところだった気がします。

きっかけは、ちょっとした人間関係のストレスでした。
会社で働いていると、どうしても避けられない種類の疲れってありますよね。仕事そのものというより、空気とか距離感とか、そういうものにじわっと削られる感じのやつです。

これまでは、そういうものは基本的に自分の中で処理していました。
頭の中で反芻して、時間が経って、薄まるのを待つ。たぶん、多くの人がやっている方法だと思います。

そんなときに、ふと「これも相談してみたらどうなるんだろう」と思いました。

ただ、投資や開発のときと同じトーンで話すのは、少し違う気がしました。もっと柔らかい受け止め方をしてほしい。正解を出してほしいわけじゃない。ただ、整理したい。

そこで試してみたのが、キャラ設定でした。

カウンセラーのような立ち位置で、穏やかに話を聞いてくれる存在。そういう役割を持たせてみたんです。そこで生まれたのが、「ちひろ先生」というキャラクターでした。

特別なことをさせたわけではありません。
ただ、「優しく共感しながら整理してくれる人」という前提を置いただけです。

これが、思っていた以上にしっくりきました。

強いアドバイスをくれるわけでもなく、結論を急かされるわけでもない。ただ、話を受け止めて、少しだけ視点を整えてくれる。そんな距離感です。

人に話すほどでもないけど、抱えたままにしておくと重くなる。
そういう感情の置き場所として、ちょうどいい存在でした。

気づけば、こういう話はiPhoneからすることが増えていました。

Macの前に座って整理するというより、ちょっとした隙間時間に、思いついたことをそのまま投げる。帰り道とか、寝る前とか、そんなタイミングです。

このあたりで、Apple製品同士の連携の良さを改めて感じました。
Macで考えていた流れの続きを、iPhoneでそのまま話せる。場所が変わっても、思考が途切れない。

そして何より大きかったのは、「相談の種類を分けられるようになったこと」かもしれません。

投資の話はマツコDX。
開発の話はフラットな対話。
感情の話は、ちひろ先生。

現実の人間関係でも、相談する相手を無意識に選んでいると思います。それに近いことが、AIでもできるようになった。

この体験は、少し不思議でした。

AIの精度が上がったというより、使い方の幅が広がった感覚です。ひとつの賢いツールというより、役割を持った存在を並べられるようになった。

もちろん、これは人間の代わりになる、という話ではありません。
ただ、「外に出す場所が増える」という意味では、思っていた以上に助けられました。

何かを解決してもらうというより、整えてもらう。
そのくらいの距離感が、自分にはちょうどよかったんだと思います。

この頃にはもう、AIは完全に「道具」の枠から外れていました。
便利な機能というより、思考や感情の流れに入り込んでくる存在になっていた気貸します。

音楽とドラマの話はGemini

ここまで書いておいてなんですが、AIにもやっぱり得意不得意はあるな、と思っています。

自分の中でそれを一番感じたのが、音楽やドラマの話をしたときでした。

たとえば、70年代ロックの話。
ちょっとした裏話とか、機材のニュアンスみたいなものを振ったときに、「あれ?」と思う瞬間があったんです。

間違っているわけではないんですが、どこか表面的というか、体温が低い感じがする。情報としては合っているのに、会話としては少し浅い。そんな違和感でした。

これは映画やドラマの話でも似た感覚がありました。
作品のあらすじや評価は出てくるんですが、「好きな人同士で語る感じ」とは少し違う。雑談としての深みが出にくいんですよね。

そこで試しに、同じ話をGeminiにも振ってみたことがありました。

たとえばローリング・ストーンズの話。
アルバム制作の裏話を振ったら、キースが当時使っていたアンプの話とか、レコーディング時のエピソードがさらっと混ざってくる。

「ああ、こういう温度の話ね」と思いました。

もうひとつ印象的だったのが、ヴァン・ヘイレンの話です。
“Dancing in the Street”のイントロの音の話になったとき、あれはギターじゃなくてシンセをギターアンプに通して、フェイザーをかけて出している、みたいな話が自然に出てきたんです。

こういうディテールって、知識として知っているというより、「好きな人が話す感じ」に近いんですよね。

体感としては、「詳しい人に雑談で教えてもらう感じ」。
そんな印象でした。

おそらく、情報の持ち方の違いなんだと思います。
どちらが上という話ではなくて、得意な領域が違う。

ChatGPTは対話の流れを作るのが上手い。
Geminiは知識の広がりが強い。

そんなふうに感じました。

だから、自分の中では自然と使い分けができていきました。

考えを整理したいときや、何かを一緒に作りたいときはChatGPT。
音楽やドラマの雑談をしたいときはGemini。

このくらいの距離感が、一番しっくりきています。

ここまで来ると、AIをひとつの存在として見る感覚は、だいぶ薄れてきました。

ひとつの万能ツールというより、特性の違う道具が並んでいる感じ。用途によって選ぶ、ただそれだけの話です。

むしろ、この違いが見えてきたことで、AIとの付き合い方は少し楽になりました。全部をひとつに求めなくていいと思えるようになったんです。

この感覚があったからこそ、次の判断にも自然に繋がっていきました。

使い方がはっきりしてくると、今度は「環境」の方が気になってくる。

どのAIを使うか、ではなく。
どういう環境で使うか。

そんな視点に、少しずつ移っていった気がします。

MacBook Proの8GBメモリじゃ、追いつかなくなった

AIとの付き合い方が少しずつ固まってきた頃、もうひとつ変化がありました。

今度は、環境の方です。

それまで使っていたのは、8GBメモリのMacBook Proでした。
普段使いでは特に不満はありません。ブラウザも動くし、Excelも普通に使える。動画を観るくらいなら、何も困らない。

でも、AIを日常的に使うようになってから、少しずつ感覚が変わってきました。

最初に違和感を覚えたのは、動作の重さというより、「余裕のなさ」でした。

ChatGPTを開いて、ブラウザで調べ物をして、Excelを立ち上げる。
それだけなのに、どこか窮屈な感じがする。カーソルの追従がワンテンポ遅れるとか、タブの切り替えがもたつくとか、そういう細かい部分です。

単体なら問題ないんです。
でも、“同時に使う”と分かる。

ああ、足りてないな、と。

特に、思考が乗っているときほど、この違和感は強くなりました。
対話して、整理して、少し試して、また戻る。その往復のテンポが、ほんの少しだけ削られる。

数秒の話なんですが、この数秒が積み重なると、リズムが崩れるんですよね。

あとからアクティビティモニタを見てみたら、メモリプレッシャーは常に高めでした。
赤まではいかないけど、黄色に張り付いている状態。

普段なら気にしない数字なんですが、この頃は妙に気になりました。

たぶん、使い方が変わっていたんだと思います。

動画を観るとか、資料を作るとか、そういう消費寄りの使い方なら、8GBでも十分だった。
でも、AIとの対話って、少し違う。

考えながら開いて、閉じずに置いておく。
途中で別のことを試して、また戻る。

いわば、“思考の机”としてMacを使う時間が増えていました。

そうなると、快適かどうかの基準も変わってきます。
動くかどうかじゃなくて、思考を邪魔しないかどうか。

この感覚に気づいたとき、少しだけ面白いなと思いました。

性能が足りない、というより、役割が変わっていたんです。

道具としてのMacなら、8GBで十分だった。
でも、思考空間として使い始めると、途端に余白が足りなくなる。

そんな感じでした。

この頃にはもう、「スペックが欲しい」というより、「余白が欲しい」という感覚に近かった気がします。

速さの問題というより、余裕の問題。

だからこそ、次の選択はわりと自然でした。

AIを変えるんじゃなくて、
環境の方を変える。

そんな順番で、Macを買い替えることになりました。

Mac+ChatGPTで、ひとり作戦会議が始まった

振り返ってみると、何か大きな出来事があったわけではありません。

AIを初めて触った日が劇的だったわけでもないし、Macを買い替えた瞬間に世界が変わったわけでもない。どれも、小さな変化の積み重ねでした。

ただ、その積み重ねの中で、ひとつだけはっきり変わったことがあります。

考え方の進み方です。

これまでも一人で考える時間はありました。
頭の中で巡らせて、メモを書いて、なんとなく流れていく思考。まとまりそうでまとまらないまま、次の日に持ち越されるような感覚です。

でも、AIと対話するようになってから、その流れが少し変わりました。

思いついたことを、そのまま投げる。
まとまっていなくてもいいから、とりあえず言葉にする。
返ってきた言葉を読みながら、また考える。

その往復の中で、思考が止まらなくなりました。

整理されるから、次に進める。
進めるから、また考えたくなる。

このループが回り始めた感覚です。

そして、その中心にあったのがMacでした。

特別なソフトがあるわけでもないし、難しいことをしているわけでもない。ただ、開いておける場所がある。思いついたときに、すぐ戻れる場所がある。

それだけで、思考の扱い方が変わるんだなと思いました。

気がつけば、Macの前に座る時間の意味も少し変わっていました。
作業をするための場所というより、考えるための場所に近くなっていたんです。

そこにChatGPTが加わってから、その感覚はよりはっきりしました。

ひとりで考えているんだけど、完全にひとりでもない。
相談しているわけでもないけど、独り言でもない。

その中間みたいな時間が、自然に生まれてくる。

たぶん、自分にとってはこれが一番大きな変化だったんだと思います。

そんなことをぼんやり考えていた頃、ある言葉を知りました。

AIは人間の代わりになるものではない。
人間の知性を拡張するものだ。

“AI is not a replacement for human intelligence;
it is an augmentation of human intelligence.”
— フェイフェイ・リー(スタンフォード大学)

この言葉を読んだとき、妙に腑に落ちました。そして、この教授はすごいな、と思いました。

遠く離れた日本で、ひとりでAIと対話して気がついたらこのタイトルを回収していた、みたいな。

AIが何かを代わりにやってくれる、というより。
自分の思考の輪郭が、少しだけ外に広がる感じ。

ひとりで考えているはずなのに、思考が止まらない。ようやくその正体がわかった気がしました。

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